私は昭和40年、愛知県江南市で生誕しました。
「理容店」、いわゆる「床屋」の長男としてです。

理容師の父は7人兄弟の長男で、子供の頃からひどく貧乏をしたそうです。その中で手に職を付け、一代で独立し自分の店を持ちました。自分の父ながら立派だと思います。

私が幼少の頃はまだ近隣に競合店も少なく、美容院の認知もまだまだの時代でしたので、店は非常に多忙でありました。私の両親が結婚する前に両祖父は亡くなっています。その為店の収入もそれなりにあったのでしょうが、自分以下の兄弟の養育費が相当必要であったようです。自分の記憶ではあまり裕福であった実感はありません。

代表小学生の頃、子供心に「自分が大人になったら自営業はしたくない。サラリーマンになるんだ。」と考えていました。動機は極めて不純です。友人の多くは「サラリーマン」の子供でした。当時は景気も良かったのでしょう。「お父さんのボーナスでこれを買ってもらった」とか、「お盆休みに○○○へ旅行に行くんだ」といった話を聞く度に羨ましく思ったものです。特に年末は店が忙しく、大晦日に家族で「紅白歌合戦」を視聴したことは殆ど記憶していません。

自営の「床屋」には「ボーナス」など無く、「大型連休」もありません。当然、土日祝日も店を開けます。ただひたすらに忙しく働き、たいして裕福でもない自分の家庭が何か切なく感じました。

やがて中学生になり、大学進学に向けて普通科の高校に進学することができました。両親は貧しく高校に進学できませんでした。中学を卒業してすぐに、理容学校に通いながら住込みで修行先の床屋に見習いとして働いていました。その為か学歴に対してコンプレックスがあったようで、私に対して大学進学を密かに期待していたようです。あくまでも密かに・・・です。母はともかく、少なくとも父は大っぴらには言いませんでした。

当時「サラリーマン」志向であった自分にとっても大学進学は必須でした。ですが高校時代、遊んでばかりいましたのでたいした学校には進めませんでしたが・・・。

父が平成8年に他界した後、母からこんな話を聞きました。実は父は私に店を継いでほしかった・・・と。私には弟が一人おりますが、手先がとても不器用でしたので・・・。

代表遊んでばかりの大学時代が終わり、私は進学塾の講師への道を進みました。
動機は単純、先生になりたかったからです。
子供達に勉学指導し、共に過ごす時間は大変貴重で実に有意義な毎日でした。
ですが良いことばかりでもありませんでした。以前からそんな話を聞いた事はあったのですが、やはり教育指導する側と言う狭い世界に閉じこもり、本来お客様である生徒の父兄からも「先生」、「先生」と呼ばれる日々・・・。当時若造だった私は「こんなことでいいのか?」と悩みました。お金は頭を下げて稼ぐものではなかったのか?
気が付くと自分が「先生」という偉い存在になったと錯覚してしまうこともありました。

生徒達は私から勉学指導を受け、年月の経過と共に私の前を通り過ぎていく。
私は子供達に「与えるばかり」で「与えられるもの」は何もなく、ずっとここに留まっている。
私に世間の厳しさを教えてくれるべきお客様は「先生」、「先生」と頭を下げる。
6年ほど勤めた挙句辞めました。
この時思ったのは「先生と呼ばれるほど馬鹿な仕事は無い!」・・・です。

その後も「サラリーマン」を続け、営業職、企画職等様々な業務を経験しました。
そんな中で先に述べたように父が他界し、私は結婚もし、子供ももうけました。

子供のころ夢見た「ボーナス」や「大型連休」そして「家族」を手に入れました。
夢は果たされたのです!!!

代表でも違っていました。
何か違和感というか、我慢できないものがありました。

「サラリーマン」はとても気楽な商売です。(自分はそう感じています)
病気になれば休めるし、出社さえしていればお金がもらえます。
最近は景気が悪く、そんなことばかりは言っていられないでしょうが、基本的には変わりません。法律で手厚く「労働者」は保護されています。

その代わり「企業」の「上司」の手先として仕事をしなければなりません。
当然文句も言えず、我慢もしなければいけません。
自己責任で選んだ「企業=会社」なわけですから、それは「我慢代=給料の内」として諦めなければなりません。
もし会社が夢のように楽しいところならば、逆に従業員が会社に入社料を払わなければならないでしょう?数多くある遊園地の様に。

「サラリーマン」稼業を続けて20年余りが経過した頃、このまま「サラリーマン」で人生を終える気はすっかり無くなっていました。
ですがもし独立するとしても、自分には手に職もなく、コネも人脈も才覚もありません。それに店を持ち、在庫を抱える商売のリスクはこれまでの「サラリーマン」経験で知っているつもりでした。

そこで考えたのが「資格業」です。今の自分にできるのは「お勉強しかない」、「それも専門職で、国家資格が望ましい」そんな不純な動機で「法律家・行政書士」になろうと考えたのです。
後付け理由で言えば、「以前から法律職に関心があった・・・」ということにしておいて下さい。

代表自分は「自営業」の父の背中を見て、「自営業」の辛さを感じ「サラリーマン」で成功することを志したはずですが、結局人の言いなりに仕事するのが嫌になり「自営業」を志したわけです。

要するに「サラリーマン」として「不適合=失格」だったわけですね。

そして現在、こうして「行政書士」として生きている訳ですが、これも結局「先生」と呼ばれる仕事なわけです。今でも「先生と呼ばれるほど馬鹿な仕事は無い!」と考えています。

だからこそ、それに恥ずかしくない仕事をしようと考えています。
ですから私の事を「先生」なんて呼ばないで下さいね。
私はそんな立派な人間ではありません。
ただの「わがまま」の「わからず屋」で、「サラリーマン」の世界からはじき出された人間です。言い換えれば「負け組」とも言えますね。

故に私は「サラリーマン」の悲哀を知っているつもりです。
ですから、それらの経験を糧とした「法律家・行政書士」としての「お役立ち」ができれば・・・と考えています。

今は「自営業」の悲哀を感じている今日この頃です。
こんな私ですからハードルは低いですよ。

何でもお気軽にお話しして下さい。
これを読んで頂いた貴方に、何時かお会いできる日を楽しみにしています。

 

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